葵祭の斎王(代)行列発祥の地
この地は平安時代から鎌倉時代にかけて賀茂社に奉仕する斎内親王、即ち斎王が身を清めて住まわれた御所(斎院)のあった場所であり、このあたりが紫野と呼ばれていたため、『紫野斎院」とも称された。
この斎院の敷地は、大宮通りと慮山寺通りを東南の角としており、約百五十メートル四方を占めていた。
斎王は嵯峨天皇皇女・有智子(うちこ)内親王を初代とし、累代未婚の皇女が卜定され、約400年続き後鳥羽天皇の皇女・第三十五代礼子(いやこ)内親王をもって廃絶した。
斎王の中には選子(のぶこ)内親王や、式子(のりこ)内親王のように卓越した歌人もあり、斎院でしばしば歌合せが催された。また斎院にはほぼ500人の宮人や女官が仕えており、女官にも秀れた歌人が少なくなかった。
私達は、この文化遺産の斎院跡を顕彰し、後世に伝えるものである。
(賀茂斎院跡顕彰会)